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余命三年時事日記

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  • yomei

志ある日本人にとって魂の師であり続ける吉田松陰先生。

誰が読んでもわかりやすい松陰語録をリストアップしてみました。


その前に、「742 国を護るのはだれか」のトップ動画42分25秒あたりをご覧ください。

増元さん(拉致被害者家族会)に対し、「我が国は戦後60年の間で情報収集に力を入れたことはない。お金を使ったことはない。」と平気で言い放った当時の故町村外務大臣。

当時の日本政府は、他国の非道による国民の危機に腰が重いどころか、腰を上げることさえ考えていなかったのです。

自民党の重鎮でさえ、戦後一貫した基本方針が誤っていることに気が付かない状態だったのです。おいおい、能天気にもほどがあるぞ、と今だからこそ思えるのかもしれません。


国家国民の存在基盤がボロボロである現実から目を逸らし、目先の利益のみに奔走し、精神的豊かさよりも物質的豊かさを国民に与えることを命題とし、それが叶えばそこで満足し、国民もそれを求める。


GHQの日本占領政策である「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」の効果と、日本型民主主義から欧米型民主主義への強制転換効果が大きな要因でしょうが、それを悪用した日本人以外の何者かによる日本国乗っ取り効果が特に大きく、前述の町村発言につながったのかもしれません。


日本が、日本人がいたぶり続けられ、大和民族の精神が荒んでいる今こそ、松陰語録をおさらいしてみることも自分の足元を見つめなおすという意味では有用だと思います。


1.「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり」


松陰語録の中でも特に有名なこちら。

至誠とはこれ以上にないほどに誠実であることを意味しており、「誠を尽くして行動すれば、心を動かされない人はいない」と教えています。

はたして全ての人が本当に心を動かしてくれるのでしょうか。

神仏は別として世の中には「絶対」は存在せず、ものの見方・感じ方は人それぞれによって違うからです。

例えば、いくら真心を尽くしても、悪意のある相手や結論ありきの相手は自分の信念をさらに強固にするだけです。人間は、間違った信念ほど強い愛着を抱いてしまうといいます。

そういった場合、私たちは相手に非があるとして独善的な思考に陥りがちです。上手くいかないことを他人の所為にしがちです。

しかしながら松陰先生は、誠を、精神を錬磨し人格を高めることと捉えています。

責任転嫁することなく自分が誠を尽くしているのかを反省し、自分の心を見つめ、私欲を排する。誠という字は言と成で作られています。つまり、言葉にしたことをし遂げるといった嘘偽りのない強い心を表しています。

世のため人のために誠意をもって行動するには、常に修練を積まねばならないのですね。


2.「小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。

人間たる者、自分への約束をやぶる者が、もっともくだらぬ。死生は度外に置くべし。

世人がどう是非を論じようと、迷う必要はない。武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない」


「自分に嘘をついて生きても得るものは少ない、信じた道を最後まで貫くことが大切だ」と教えています。

目先の利害や損得、勝ち負けや優劣よりも、大切なものを持っている自分を信じ、その道を信じること、世間が何を言おうと、どのように評価しようと、迷う必要はない。武士の心には常に一本の太くて強い芯があり、それゆえ、精神的にも強靭である、とも教えています。

強靭な精神を持てば、どんな困難にも立ち向かっていくことが出来ます。

マスコミや世論に踊らされず、価値観を揺すぶられないようにしたいものですね。


3.「かくすれば かくなるものと知りながら 已(や)むに已まれぬ大和魂」


「頭ではどうなるかは分かっていたが、それでもやらずにはいられなかったのは、日本を思う心からなのだ。その心こそが大和魂なのだ」と教えています。

そこには損得勘定はなく、どんなに不利益を被ろうとも己の信念に従って行動する。これこそが日本人の精神美学です。

自分の心の中の利己心を自らが克服して、正しいと信じた道を進み続けたいですね。


4.「死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらば

いつでも生くべし」


「死んでも志が残るものであれば、いつでも死ねばよい。生きて大事を成せるならば、いつまでも生きてそれをやればいいのである」と教えています。

これは、大きな目標を達成するなら命を惜しむなと言っていると同時に、死に急ぐことのないよう戒めています。つまり、「人生において命のかけ時がある」ということでしょう。

この言葉を師から引き出した高杉晋作は、後日に「功山寺決起」により日本を変えました。

志を遂げるには覚悟が必要ということですね。


5.「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず、勇士は其の元(かうべ)を喪

(うしな)うことを忘れず」


「志士とは、高い理想を持っていかなる境遇に陥ってもその節操を変えない人物であり、節操を守る人は困窮に陥ることはもちろん、飢えて溝や谷に転げ込んで死んでも良いとの覚悟を忘れぬものである。勇士とは、戦場で戦死すること、いつ首を取られるかもしれないこと、などは問題ではないという一念を常に忘れぬものである」ということを教えています。

日本人精神の根幹であり、自分の為すべきことをわきまえ、廉恥を重んじるのですね。

論語にも次のようにあります。

子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る(君子は万事を道義に照らして会得するが、小人は万事を利害から割出して会得する。)

恥を捨ててまでカネに執着するよりも、節操や道義を大切にしたいですね。

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  • yomei

日本の三権は立法・行政・司法ではなく、慄法・蟯政・屍法と成り果てている。


●立法府は、ロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにし、いまだに「国防」を問題視し、「明確な防衛対策問題」や「喫緊の憲法改正問題」を阻止しようとする国会議員が多い。

一方「人権法案」を差別問題に特化させ、個人情報保護法やヘイト法を弱者擁護の名目の下、実質、日本人の手足を縛ろう、口を封じようとする法案であることを隠して可決させている。結果はご承知のとおりとなった。


例えば懲戒請求訴訟では、一文字苗字の弁護士を選んだことは、朝鮮半島出身者を推測したからであり、差別意識が働いている証左であると断じ、ヘイト法や人権擁護法に抵触するとされている。あきれるばかりだ。小学生以下である。これが弁証になるのか?

一文字苗字には、森・林・谷・関・岡・東・南・西・北・辻・・・など、古来より日本の由緒正しい苗字は多数あり、逆に、朝鮮半島における一文字以上の苗字には西門(ソムン)・東方(トンバン)・南宮(ナムグン)・皇甫(ファンボ)・諸葛(テェガル)・魚金(オグム)・司空(サゴン)・鮮于(ソヌ)・・・など、これらも多数ある。

「一文字苗字は朝鮮半島出身者を窺がわせる」という発想自体が差別ではないだろうか。


この法案が提出され、国会審議を経て採決されれば、その恩恵を受けるのは弱者という仮面をかぶったノイジー・マイノリティ(特亜出身者もしくはシンパ)であり、被害を受けるのはサイレント・マジョリティ(ほとんどの日本人)であることは自明の理であった。


日本の民主主義は、立法において数の論理よりもマスコミなどを総動員した力の論理である。

結果として、大多数の弱者救済という表面的美名のもと、少数の権力を操作出来る強者保護が実体であり、日本人の拘束衣が出来上がったのである。


●行政府では、法務省が広く人権問題を掲げ、国連での人種差別撤廃条約を外務省が持ち帰り、結果、「外国人のための人種差別問題」や「外国人のための人権擁護法案」の色合いを強め、「クルド難民」を騙る「PKK(クルド労働者党)」によりおこなわれている「難民申請」問題等が挙げられる。

その先頭に立つ自称人権派の弁護士と仲間たち。802803804 参照)

そんな弁護士らを抱え、擁護する弁護士会。北朝鮮の代弁者であるかのような言動を堂々と繰り広げる日弁連及び各弁護士会の会長たち。(791792793794  参照)

その弁護士会を公共団体として認め、外国人にやさしい法曹三者を育み、認可する法務省。(791793805  参照)


未来の日本史では、国益を損なう働きを積極的におこなった、と評価されているだろう。


●司法府は、事ここに至れり状態である。

公務員の中でもひときわ公平性と公正性を求められる司法において、「労働者の権利」と「思想信条の自由」を言い訳に、最高裁判所内に真っ赤な労組が現存している。(751764  参照)

司法(裁判所)は「北朝鮮を利する者たちのテリトリー」となってしまった。

今般、これが明確になっただけでも大きな成果である。

今までは明確な証拠がなかったが、一連の懲戒請求訴訟で、法曹二者の癒着と共通した思惑

が明らかにされている。

証拠はたっぷりあった方が良い。


法令や「きまりごと」「しきたりごと」では無いといえども、社会通念上、認証官は大御心に重きを置き、陛下の御心や日本国のために一身を投げうつ覚悟を持つ者でなければならない。

いわんや、高位公職者ならば、言わずもがなであろう。


「北朝鮮拉致被害者の奪還」は、大御心の最たるものの一つであるが、「北朝鮮が拉致した事実はない」と、北朝鮮の代弁者であるかのごとき言動をおこなった日弁連会長及びに「共産党」を中心としたほとんどの野党議員と一部自民党議員。

事実が判明した現在であっても、その言動に対する謝罪も反省もない。それどころか、今度は拉致被害者問題と核開発問題が重なった状況において、「北朝鮮の子供の人権」を振りかざし、国連の北朝鮮制裁決議に抵触する「朝鮮学校補助金支給要求声明」を、日弁連会長及び各弁護士会会長が発出する暴挙に及んだ。しかも抗議の声を上げた懲戒請求者に対して、口を封じる為であろうか損害賠償請求訴訟までをも弁護士らによって提起されたのである。

そして裁判所は、弁護士会による「朝鮮学校補助金支給要求声明」を言論の自由とし、懲戒請求者らの抗議の声を不法行為とした。

このような現状に鑑みると、「裁判所」「日弁連及び各弁護士会」「共産党」「懲戒請求訴訟を提起した弁護士ら」は、日本人の抗議の声を封殺するために共謀していると言えよう。



ところで、立法・行政・司法であるが、システムそのものに問題があるのではない。

その中に付着し根を生やし増殖した黒カビが問題なのである。


今、司法の実体に光が当てられた。その影はどこまで伸びるのか。

その影が分析されれば、次には治療が始まる。

まずは、病巣の質とレベル判定、病巣範囲、対処法など、病理側からの判断が重要となる。

次には、病巣の摘出と、輸血・栄養補給の同時進行で、巧みな技術と我慢が必要とされる。

その次には、術後回復のリハビリが行われる。

気力・体力の回復とともに、新たな病理を生まないような環境作りが必要となる。

必然的にメディア、学者、教育機関、宗教団体、企業などにもメスが入るだろう。

それほど、日本の現状は深刻である。

一朝一夕に原状復帰は望めないし、内外共に足を引っ張るものだらけであることは明確だ。


己の権利だけを主張し、責任転嫁をし、誤った多様性、勝ち組、拝金というマスコミが作り上げた価値観に操られ、生きざまと存在意義まで操作された日本人は、どんどんと近視眼になっていく。

その象徴が「団塊の世代」であり、いまだにテレビのウソに騙され続けている。


ロシアの侵攻を目の前にしても、「非核三原則ガー」「憲法9条ガー」「戦争できる国ガー」「安倍ガー」「外国人の人権ガー」とのたまう。

現在の日本は、「静かなる侵略を受けている」というのが厳然たる事実であるというのに。


日本は侵略国家だ、東アジアを侵略しようとした、韓国を植民地化した、などと史実を捏造し、歴史を切り貼りし、屁理屈を根拠とする手法には、事なかれ主義の日本人は太刀打ちできないまでに追い込まれ続けた。そうこうしているうちに、いいように日本の中枢に入り込まれ、三権の操縦桿を握られてしまったのである。

結果、日本人の手足は縛られ、二人三脚どころか、百人百一脚の状態となってしまった。

身動きすら取れない状態で、死なない程度でぶたれ続けている。

しかし、いまだにそれは日本人の罪と業によるものだと、テレビコメンテーターの誤謬に乗せられ、実は日本を害する何者かが日本に、日本国の三権に、日本人の精神に入り込んだ故だという事実にフィルターがかけられている。


実際、2011年8月31日に韓国SBSテレビで李明博は「すでに日本を征服している」と宣言し、2012年8月10日には竹島に上陸して「天皇陛下に対する謝罪要求発言」を堂々と世界に向けて発表した。

この事実があるにもかかわらず、未だに日本の現実を直視できないほど病状は重い。

とてもではないが、即効性のある処方は期待できないだろう。


他人を尊重するには自分を大切にしなければならない。

他国を尊重するには自国を大切にしなければならない。


今、褌を締め直す意味でも、日本人精神の原点を見つめ返したい。

そのための教材として、次回ブログでは松陰語録を参考にする。

ご自身の解釈をもとに、是非ともご再考いただきたい。

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目的が分かりませんが、岸田新総裁のブルーリボンという記事が毎日欠かさず読まれています。しかし、ブルーリボンに込められた拉致被害者の救出につながる行動は、寡聞にして存じません。


今日は、横田滋さんの命日です。めぐみさんにどれほど会いたかったことでしょう。

北朝鮮はご丁寧にミサイルを8発も打ったそうです。


抗議するだけで何か解決できるのでしょうか。

岸田首相にご自分のツイートを見直していただきたいと思います。


そして、何かできることはないかと陳情をする国民、懲戒請求をして弁護士に法外な賠償金を請求され、裁判所がそれを認める判決を出してコロナ禍の経済状況で苦しんでいる国民がいることを知ってください。


拉致被害者を救出してください。

拉致被害者救出を願って行動したことを、司法が罰している現実を知ってください。


苦しんでいる日本国民を助けてください。

それこそが政府の、政治の役目でしょう?

岸田首相は、日本政府は、日本人の生命財産の安全はどうでもいいのですか?

















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