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691 大御心と日本人③

(参照過去記事)523「大御心と裁判官の人事評価制度①」 :大御心について

(参照過去記事)534「大御心と裁判官の人事評価制度②」 :司法人事について

(参照過去記事)676「大御心と日本人①」 :三権分立と大御心について

(参照過去記事)680「大御心と日本人②」 :司法人事と大御心について

 

懲戒請求者に対する不当な判決ラッシュが続いている。事態は時々刻々と変化の色合いを窺わせ、いつ何時風雲急を告げる局面になってもおかしくない。

懲戒請求が民族差別にすり替えられ、NHKまでそれを正当化することに積極的動きを現した。もっとも、NHKは「クローズアップ現代」で既にその正体を明らかにしている。


一方、札幌高裁長官に着任した白石史子氏を筆頭に、司法では問題判決を下した後の栄転・昇進が多く見られている。

まさかとは思うが、御褒美昇進では無いことを願うが、そうならばその人事に関与した最高裁も問題有りとなる。

間違っても玉突き人事に名を借りた御褒美人事が司法で行われて良い筈はないだろう。

それにしても、昇進した彼ら彼女らは国益をどのように考えているのだろうか?

日本国の正義とは何かよりも、立身出世の方が重要だと言うのだろうか?


日本国憲法第76条第3項では「すべての裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法および法律にのみ拘束される」と定められている。

しかし、この条文は、司法省の後身である最高裁判所事務総局により、完全に死文化されている。元裁判官の瀬木比呂志氏によれば、同条同項の実態は「すべての裁判官は、最高裁と事務総局に従属してその職権を行い、もっぱら組織の掟とガイドラインによって拘束される」という。


この実態を踏まえたうえで日本を取り戻すため、さらに、今一度この事件の本質に潜む何かを見定めるため、違った角度からもスポットライトを当ててみる。


 

念の為繰り返すが、本ブログは現在進行形の事実のみを述べている。

事実の偽造や捏造、フィクションの要素は一かけらもない。

ただし、既成事実を結んだ延長線上で類推や憶測を考察して述べていることはある。

真実の評価は立場によって異なるが、その立ち位置は日本再生にある。

したがって、当ブログは事実確認ブログであるとともに、現在の事実は過去の事実とどのようにリンクしているのか、なぜ、今の事象が発生しているのかといった検証ブログである。同時に、日本の将来に向けてこのままで良いのかといった、啓発ブログでもあり追及ブログでもあることをご理解の上ご拝読いただき、各自ご思料いただくことを願う。


1.内心の自由と大御心

本稿シリーズは、反日行為としか思えない事実(独断や偏見や差別意識の視点は完全排除した国家の損失と日本国民の不利益となる事実)の源流にある思想信条、当事者の深層心理、当事者およびそのグループの個別的背景と大御心との関係性について、表面化されてはいないが事実に大きく関わっているだろうと推測されるものに焦点を当てた記事である。


具体的には、発生した事実について日本に悪意を向けている根本原因は何だろうか、それにより発生した事実の本質は何だろうか、それを実行した者や背景にあるものは何だろうか、それを許容もしくはアシストしているもの、黙認・容認している要素は何だろうか、との疑問を元にして、分析・要約をしている。

過去の事実、現在進行形の事実は、本稿記事以外の本ブログ記事で常に詳細にご報告させていただいている。本稿記事と照らし合わせてお読みいただくことをお願いしたい。


断っておくが、本稿シリーズタイトルは「日本人と大御心」ではあるが、日本人は大御心を忖度すべきである、または、大御心に準じた言動は何をしても許容されるべきだ、もしくは、大御心を忖度しなければ日本人ではない、との趣旨ではない。

むしろ、そのような強圧的・差別的・独善的な考えを持つことは「日本人として」あるまじきことであり、たとえ個人の一意見だとしても到底容認することは出来ない。


一般論として、内心の自由は憲法で保障されているが、少なくとも日本丸の舵取りを担う者は、国益を損なう言動は慎むべきである。

(仮にそのような言動であっても、日本の将来や人類の未来にとって有益性が高いと思われる場合については多様な評価が為されてしかるべきであろう。)

すなわち、日本人もしくは帰化日本人で日本国の重要ポストに位置する要人・公人ならば、内心はどうであれ、その立場を利用し、日本国・日本人に有害な言動を慎むことは当然である。同時に、程度によっては批判の対象となるだろうし、国益に背けば処罰対象とされる可能性もある。

それは日本に限らず、独立国の体制維持、存立維持の重要要素であることは当然である。


2.歪められた民意とマスコミの罪

以前でも述べた「2-6-2の法則」によれば、大御心への思いや天皇に対する崇敬の念を持ち合わせ、国政選挙を重視し、自己の利益のみでなく国益優先で必ず投票に向かおうとする者は20%ほど存在するだろう。

同様に、国益よりも自己の利益を優先して、投票に向かおうとする者も必ず20%ほど存在するだろう。

投票に行くことに意味を感じない中間層60%のうち、20%(60%×20%=12%)も、腰は重いが投票に向かう。

すなわち、計算では理論上、平均して52%の投票率となることがわかる。

これは、過去の投票率集計推移データともほぼ合致している。


では、政党支持率はどうだろうか。

法則をざっと当てはめれば、自民党の岩盤層が20%存在し、非自民党すなわち公明党を含

む野党の岩盤層が20%存在すると思われる。

一方、中間層60%のうち20%が積極的選択で自民党を支持し、残りの40%のうち、20%が

消極的選択で仕方なく自民党を支持する。残りが不明(特定支持政党ナシ・無回答)の層

となる。




本来ならば、政策の失態がなければ上記と差の無い政権政党支持率が期待できるだろう。

しかし、NHKを筆頭にしたマスコミによる自民党へのネガティブ報道により、中間層の内の消極的選択層20%が切り崩されやすくなる。


しかし、支持政党選択で自民党を選択しないように仕向けられた層のすべてが、選挙で非自民党に流れるとは限らず、NHKなどのマスコミの報道操作手腕と政党政治への不信感により、本来、非自民党に流れると思われた票が無投票となり、投票率の低下につながると思われる。同時に、自民党の失態が目立てば、中間層の積極的選択層までもが切り崩されると推測できるだろう。


では民主党政権時代の民意はどうだっただろうか。

2009年7月の衆議院解散、8月30日の総選挙結果で自民党は119議席、民主党は308議席であった。

自民党:民主党の比率は約2.5:1すなわち5:2である。

総数から計算すると、

自民党(119/480=24%)民主党(308/480=64%)他(53/480=11%)となる。

「2-6-2の法則」で言えば、約20%が自民党を支持し、中間を含むそれ以外が民主党

に投票し、20%がそれ以外に投票したことがわかる。


選挙後の投票調査で判明したことがある。

それは、自民党に入れた約20%の国民は本来の自民党岩盤層であるが、今の自民党に活を入れるため、もしくは、今の自民党では少々物足りないから、といった理由で60%の有権者が消去法的に民主党を選んだ消極的選択層であることがわかった。


ここで投票先選択の重要要素となる当時のNHKなどのマスコミ報道を思い出してほしい。


自民党の体たらくが国民の期待に答えられず、不満が鬱積していたことは事実である。

しかし、それに強風で追い打ちをかけたのはどこの誰であっただろうか。

それを民意とすり替えて報道したのはどこであっただろうか。

結果、民主党が政権の座に就いたのであるが、政権政党の体を為さなかったのはご承知のとおりである。

迷走した民主党は、暴走自動車のごとく、権力と言うハンドルを利用して大事なものを次々と破壊していったのである。


 


<民主党政権時代の出来事>

東日本大震災での福島第一原子力発電所1号機水素爆発は、完全なる対応の誤りの産物であり、多くの命と財産を失わせることとなった。

人的損失、経済的損失は甚大なもので、被害者の数をいたずらに拡大させ、周辺国からは風評被害を垂れ流しにされるがままであり、その影響は未だに尾を引いている。

尖閣諸島中国漁船衝突事件では、当事者の中国人船長を政治的判断で釈放し、日本の弱腰姿勢を世界中に知らしめ、政治的信用を失墜させた。

一方、事業仕分けでは、科学的振興費用を無駄だと切って捨て、将来に向けて必要不可欠な研究開発すらさえ許さなかった。

曰く、「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」

口蹄疫対策の初動の遅れは被害を拡大させた。

そのくせ、未だにその感染経路や拡大した原因などは未解明のままである。

菅直人総理(当時)は、辞任のドサクサに紛れて、朝鮮学校授業料の無償化適用について審査を再開するよう高木文科相(当時)に駆け込み指示をした。

(自民党は2011年8月無償化再開に抗議し、撤回を求める決議を即時行った)

公安にマークされている岡崎トミ子が国家公安委員長となり、機密情報は…。


書き出せば枚挙にいとまが無い。


 

民主党に政権を委ねた国民は、あまりの政権運営能力の無さに裏切られた思いを抱いた。

結果、解散総選挙では多くの国民の後悔の声と反省のもとに安倍政権が誕生したのである。


それでは、なぜこのようなこと(民主党政権誕生)が起こってしまったのだろうか。


当時の自民党は、「2-6-2の法則による自然の摂理」に守られていたことに気が付かず、巨大政党であるがゆえの内部問題等によって、統率力・主動力の維持・安定性が揺らぎ、政権体制自体が極度に不安定となった。

長期政権の驕りから、ぬるま湯につかったような政権運営に嫌気がさした国民は、既成政党への不満が増幅し、新設されたばかりの政党への淡い期待に胸を躍らせたのだ。

夢のような(今から考えればとても政策とは呼べないポエミーな)民主党の公約に、日本国民の多くが高級布団詐欺のような、単純な集団催眠に引っかかってしまったのである。


同時に、その集団催眠の効果には、マスコミ報道が大きな役割を果たしていたことを問題視する声も多かった。

実際マスコミは、自民党政権を必要以上に批判し、民主党政権誕生に夢と希望を持たせるような番組作りに手間ヒマをかけ、経費を惜しまず行ってきた。また、民主党政権時代に生じた大問題、大失態を、自民党政権時代とは正反対に庇おうとする評論家たちを積極的に起用するなど、国民を誤った方向に意図的に誘導しようとしたことは事実である。


「NHKを筆頭とするマスコミと民主党との共犯性は高い」との指摘が多く上がったのは当然である。しかし、その指摘の声には聞く耳を持たず、まったく聞こえない振りの状態のままであった。

そもそも、一部の有権者からマスコミに対してそのように指摘されても、犯人が積極的に自首し、被害者の前で謝罪するなど考えられない。ましてや確信犯であるならば自分の罪を認めるわけはないだろう。

NHKを筆頭としたマスコミは自己批判するどころか、現実はまったく逆の手法で自分たちを正当化した。ノイジーマイノリティーがマスコミを通じ、報道は民意に沿うものだ、これが民意の声だ、と主張し拡散させたのである。

実に「パレートの法則(20:80の法則)」をもって20%という少数派の意見がマスコミの政治評価総数の8割を占めさせ、正論化させることに成功した。

この事実だけでも「NHKを筆頭としたマスコミの権力を使った横暴さ」がわかるだろう。

結果、民意の名の下に民主党政権を誕生させ、民主党政権下で起こった負の結果も民意が選んだ責任の結果だとすり替えたのである。


しかし、ここで良く考えればそうでないことが見えて来る。


そもそも、民主主義における「民意」とは「国民の意見の数」であり、「国民の意見の声の大きさ」ではない。

民主主義の基本は、「質」ではなく「量」の比較であることが重要なポイントである。

選挙がまさしくそれを示しているだろう。

マスコミは意図的にノイジーマイノリティーの出番を多くさせ、「出演量の多さ」「発言量の多さ」「発言者数の多さ」を「全体総数の多さ」にすり替え、国民を欺いた。

確信犯であり、「マスコミ権力による大罪」と言えよう。


3.反日言動の是非

個人の思想・良心の自由は、たとえ非現実的なものであっても保障されている。

憲法に照らすまでもなく、主義主張や考えの多様性は尊重されるべきであるし、例え日本に不利益なものであっても保障されてしかるべきである。


しかし、日本で生活する上でさまざまな恩恵を受けているにもかかわらず、反日的な言動、日本の国益に反する言動を起こす背景には何が潜んでいるのだろうか。


たとえば、敵対国籍であり、母国のために日本国内で反日言動を行っていたとすればまだ理解できないこともない。

また、日本に生まれ育ったけれども、オウム真理教やその他の宗教の教えがあった、特定の思想に洗脳もしくはマインドコントロールされた、劣悪な環境条件など個人的な理由があった、などという背景があっての反日言動も許されはしないが理解はできる。


だが、そういった要素がまったく無い日本人が、単に己の欲望やイデオロギーを優先させて自分以外の日本人に有害な反日言動を起こすことは到底理解することは出来ないし、同じ日本人として許してはならない存在である。


1960 ~ 1970年の安保闘争では学生運動がブームであった。

学生運動の火種である「日米安保条約」や、学生運動のエネルギーとなった「マルクス主義」など、当時のほとんどの若者は理解すらしていなかった。

いわゆる、若者のはやり行為であり、「反体制ごっこ」や「革命闘争ごっこ」の仲間になることが「学生仲間でのステータス向上」につながるような雰囲気があった。

読みもしないのに「朝日ジャーナル」を小脇に抱えるのが格好良かった時代でもあった。 


しかし、この程度の意識から起こされた抗議運動が社会的に大きな事件を次々に起こし、成れの果てとして、連合赤軍事件やよど号ハイジャック事件につながったのである。


ささいな反日活動でも、単なる小さな事象だとして考えるのは危険だということを日本は経験した。にもかかわらず、反日活動は人権の名の下で野放し状態となっているのが今の日本の状態である。


4.反日言動が許されない職務・職責・職能組織

前述のとおり、自由権の名目の下、法の枠内であれば反日言動を行ったとしても誰も咎めることは出来ない。

しかし、たとえ法的枠内であろうと職務・職責・職能組織の名目を利用した場合には「世間への影響」と、日本人の持つ「道義観」により許されない場合がある。

公職は当然のこと、国の体制に及ぼす「影響が大きい職」であるほど許されてはいけない。



 

道義観について

日本人の道義観は人それぞれであるが、その根底にあるのは神道の神々への畏敬の念である。日本の神々は常に我々を見守ってくれており、だからこそ、誰も見ていないからといって良からぬ行為を自制できるのが日本人である。

「天知る地知る我知る人知る」が日本人の道義観・倫理観の本流であり、源流は「日本人

が神々とともに歩んで来ることが出来た証」すなわち「大御心」である。

もちろん、これに異を唱える方も多いだろう。

その方々は、自然の法則から言えば20%存在し、日本人口のうち最低約2,000万人は同意

されないことも計算で示される。

しかし、日本の要職にある者や官吏・官職の中において同意できない者が、20%存在するとは日本の良識として考えることは出来ない。


 

職務であれば、自衛官が職務で反日言動をすれば政府批判であろうし、反日言動を堂々と行う代議士は有権者(その代議士に投票したか否かではなく全有権者)に対する裏切りであり背信行為である。

また、公的高位要職者や高官などは、より一層襟を正すことが求められ、職責に応じた言動を求められても当然である。


職能組織もしかりである。


国の体制に影響を及ぼす組織自体が法を利用し、国益よりも組織益を優先することにつなげるなどは、日本人の道義観に背くとともに、日本の民主主義の破壊を組織ぐるみで行っているとして断罪されて然るべきである。


弁護士会も日本の重責を担う職能組織として同義であろう。




徳島弁護士会は、中学校の公民を復習し直して欲しい。


<三権の抑制と均衡>



司法にあるまじき者に対する弾劾は、立法府の司法に対する抑制機能であるのに、「司法にあるまじき者かどうかは司法が決める。岡口基一はあるまじき者ではない。だから、弾劾することは許さない」と司法権を行使している。

これは、司法権の立法府に対する越権行為であり、民主主義の破壊を声高に宣言したものである。


5.法の解釈を盾に大御心を無視した認証官は許されるのか?

官吏および公的要職に就く者は、職務において公益を重視しなければならない。

公益とは公共の利益であり、社会一般の利益である。

地方自治ならばその公的権限が届く範囲の利益を指し、国ならば国益に適うことである。


国益の定義はさまざまであるが、天皇陛下のお言葉は、日本国の安寧と日本国民の健康と幸せに寄与するすべての事柄を指している。


その意味では、北朝鮮拉致被害者奪還の障害となる事象は有害無益で国益に反する。

たとえそれが個人の意見であろうと、官吏および公的要職に就く者がその公的立場を明らかにして発信する場合には批難されるべきであろう。


高官、高職である最高裁判事は、天皇から直接の任命や認証を受ける要職のなかでも特別な存在である。

下級裁判官の人事にも認証官集団である最高裁からの指名があることから、判示の全員が

縦の流れとして天皇の認証を受けていることになるだろう。


民事では自由心象主義を規定するが、これは恣意的な判断を認めているのではなく、経験則に基づいた合理的判断を担保するためのものである。

当然、一方にバイアスがかかる時点で公平性を欠くが、そのバイアスが国益に背く側面がある場合には重大な瑕疵があったとして責任を問われなければならない。



懲戒請求訴訟での一連の司法判断を見れば、担当した司直が国家の不利益(拉致被害者の奪還妨害)と天皇の大御心(国民の平和と幸福を願う思い)に反するという二重の罪を行ったと断じることが出来るだろう。



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