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523 大御心と裁判官の人事評価制度①

 三権の長とは、一国の統治権を有する立法府、行政府、司法府の中での最高位を示す。

 統治機関として、立法府での最高立法権は国会(衆議院および参議院)、行政府での最高行政権は内閣、司法府での最高司法権は最高裁判所となり、それぞれの機関の長が「三権の長」と称される。


 現在、衆議院議長は大島理森氏、参議院議長は山東昭子氏、内閣総理大臣は菅義偉氏、最高裁判所長官は大谷直人氏であり、この「4名」がその任に当たっている。

 このうち、内閣総理大臣と最高裁判所長官は天皇の任命による就任となるが、衆議院議長・参議院議長は天皇の任命なくその職に就任する。


 重要な事として、天皇に任命され、粛々と受任する、ということは、大御心(おおみごころ)に準じる者の先頭に立つということのみならず、先陣を切って大御心に殉じる覚悟を持つと言うことである。


 では、この「大御心」について考えてみる。


 「大御心」は一般的に「天皇のお心やお考え、御意向を表す最高敬語」として認知されている。

 しかし、この解釈にはもっとも重要な要素が表されておらず、誤解を生じる可能性を持っている。


 結論から言えば「大御心とは皇祖皇宗の遺訓に他ならず、現天皇の個人的なご意思のことではない」ということである。


 著明な神道家であり、民族派の論客であり、史実から解析した「天皇論」でのオピニオンリーダーでもある葦津珍彦(あしづうずひこ)先生によれば、「大御心は天皇の個人の意思よりも、遥かに高いところにあり、また、大御心とはすなわち、日本民族の一般意思であって、時代により変化する民衆の多数意思よりも貴い」と解釈されている。


 GHQにより象徴とされた天皇ではあるが、我々日本人にとっては国体の本質であることには揺らぎはない。

 であるからこそ、脈々と流れる天皇の歴史が日本の歴史であることを理解し、国を統治しなければならない。


 天皇は初代である神武天皇以前から、民に災厄が降りかからぬよう、日本国民と神との仲介者として祈りを捧げられている。すなわち、「日本および日本国民は天皇の祈りに守られている」のだ。

 また、天皇は国を憂い、民の安寧を願う、日本国民の父である。子である国民(拉致被害者)の開放と解決をより強く願っておられるのである。しかし、だからと言って、他者(北朝鮮もしくは金王朝)を非難・攻撃されることはない。ただただ、解決を願い、祈って下さっているのである。

 昭和天皇、上皇陛下、今上天皇に至るその思いは日本国民にとっての大御心に他ならない。


 大御心は日本人としての精神文化において、憲法や法律などの次元をはるかに超越した価値観を持つ。

 法で固められた唯物論的思考とは、その価値において次元軸が大きく異なっているのである。

 そこで、三権の長が、国のあり方の舵取り役として、「天皇の大御心」と「日本国の統治機構」のつなぎ役となる。一見、名誉職の様ではあるが、実は日本丸の進路を決定づける大役を担っているのだ。


 国民は、御宸襟を悩ますことのないように、皇祖皇宗の遺訓たる大御心を読み違えないようにしなくてはいけない。

 すなわち、大御心に反する論を正当たらしめようとすることは日本人としてあるまじき行為だ、と言えよう。

 

 補足として、天皇のお考えやお気持ちを表す言葉としては「叡慮(えいりょ)」「聖慮(せいりょ)」がある。

 同様に、天皇のご心中を「忖度」することを表す言葉として「宸襟(しんきん)」がある。

 

 ついでながら、「忖度」という意味についても考えてみたい。

 当然ながら「他人の心を推し量ること。また、推し量って相手に配慮すること」をいうが、例のモリカケ騒動で連呼された意味には「おもねり・へつらい・おべっか・迎合・責任回避・責任転嫁」などといったニュアンスを含ませられ、卑しめられ、傷つけられた言葉である。

 本来は、積極的に相手の心情に思いを馳せることからポジティブなイメージを持つ言葉であるのに、後ろめたいネガティブなイメージを持つ言葉に感じられるようになってしまった。

 本来の意味から「上位者の意向を推し量る」「上位者に配慮・迎合する」意味となり、主語とならなかった「忖度」が「忖度が働く」などという主語的な使われ方に変化させられ、「上位者の気持ちを推量した上で・・・配慮する、迎合する、行動する」との暗黙の意味づけを持たされた。

 絶対的なる誤りであり、「忖度」という言語の「意味のすり替え・意味の背乗り」である。


 以上のことを踏まえて断言できることがある。

 今般の「弁護士懲戒請求」は、「大御心」を先んじて「忖度」したからこそのことであり、必然的行動である。

 それ以上でも、それ以下でもない。ましてや、自己の利害など全く関係しない。


 なぜなら、我々は日本人であるからだ。


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