『リヴァイアサン』
これは、300年以上前にイギリス出身の哲学者ホッブズが著した書の名称で、
あなたもご存知あるいは古い記憶の中にあるはずかと存じます。
学校に行っていようがいまいが、人と交流でき普通の興味関心があれば、小耳に挟んだことくらいはあるのではないでしょうか。
私の知人に、小学校を3年生から行くのをやめて、以降ご両親の協力で師となる人や友人に出会い、今では普通に順風満帆な暮らしを送っている人がいるのですが、その方もご存知です。
ホッブズは、人間の自然状態とは「個人同士が互いに自然権(生命・自由・財産・健康)を行使し合いその結果、万人の万人に対する闘争となる」と提唱しました。
「みんな好き勝手にしたら乱闘になりますよ」ということですね。
ただし、ホッブズのいう「個人同士」とは「決定的な能力差の無い個人同士」を指しています。
つい最近の日本では、自律できない弁護士らが、大量懲戒請求で図星を指摘され逆上して、数百人の一般個人に対し「気分悪いからお前の財産よこせ」と訴訟を起こし、
裁判官は「弁護士の主張することなら確かなのだろう。弁護士でない者が主張することなら確かであるとは限らないだろう」と処理しました。
そして弁護士らは数百人の一般個人から財産を受領しました。
この弁護士らは訴訟に際して、自分が誰に何円支払ったかエビデンスを出さずに、想像と仮説で「損害額」を計上しました。
この行為が個人としてのものであれば同情の余地があったかもしれません。
しかし訴訟では、弁護士らは自分が個人なのか弁護士なのかよくわからない訴状を提出し、裁判所は受理し裁判官は判決を出しました。
弁護士らは数百人の一般個人から財産を受領したが、財産を渡した方は黙っていられるでしょうか?
外野では「ネットのデマを信用して他者に加害行為を行った結果として現実世界で責任を負うこととなった事例」などと評する言がありますが、
「日本人が自然権を奪われた事件を受けて、日本の一般個人が”次は自分が自然権を奪われる危険性がある”という意識から、事件解決と再発予防のために声をあげて立ち上がり連帯した市民運動」の過程で大量懲戒請求した一般個人は財産を渡して黙っていられるでしょうか?それを見ている者、見て見ぬふりをする者らも、良心の呵責を感じずにいられるのでしょうか?
これら全て、果たして本当にホッブズより300年以上経た時での出来事なのでしょうか?
「明治維新以来、日本は欧米の文明を取り入れ、国を富ませ、国民の生活向上を図ってきました。」といわれます。
(この文言は経済産業省特許庁「産業財産権 標準テキスト 特許編」の第一文ですが、出典を意識する必要は無いかと存じます)
「明治維新以来、日本は欧米の文明を取り入れ」た結果、法廷で乱闘が起こるなど、あり得るのでしょうか?
果たして本当に日本は文明を取り入れたのでしょうか?
”明治維新以来、日本は欧米の文明を取り入れた”と言われてすんなり受け入れられる方は、今まで比較的恵まれた環境で愛を注がれてきたこととお察しいたしますが、
愛を注がれて満たされあふれかえった一部分だけでも、日本が文明を真に取り入れるための私達の運動に寄り添っていただければ、
次のライフステージの私達とこどもたちとお孫さんたちが「万人の万人に対する闘争」から自分の身を守れる一時代を築くことができます。
平成31年4月1日、内閣総理大臣談話の中で「令和」改元について「『人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ』という意味を込めた」という説明がありました。
あなたと私がこの説明に後れをとっているのなら、心を寄せ合い時を取り戻しませんか。命があるかぎりチャンスが残っています。
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