古来より日本は天皇・皇后を父・母とし、臣民・国民は子供達という家族国家であった。
臣民はそれぞれに合った役割を分担し、個々の能力を有効活用し、他者に寄与することが自分の幸せでもあった。
その共同体は精神的に豊かであろうと努め、
その共同体は社会的弱者への共助を当然のこととし、
その共同体は強いもの、数が多いものになびくことを良とせず、
その共同体は個人の利益のみ追求することを美徳とせず、
その共同体は少数の意見にも聞く耳を貸すことで和を保って来た。
これを体系化したのが、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」である。
「和」とは「調和」のことであり、たとえ対立があったとしても上の者が「和」を重んじ下の者がそれに倣えば「調和」に至る。「調和」が取れた世の中であれば何でも平和に「成就」する、それが社会の安寧秩序に寄与し、「国家の繁栄」につながる、という意味である。
日本人は精神的支柱を歴代天皇の「大御心」とし、天皇は日本国民を「大御宝」として精神的宝玉とした。
日本人の生きざまは唯心論でのみ説明でき、俗物的な唯物論では到底説明は出来ない。
ラグビーの「ノーサイドの精神」は日本人には当たり前であり、「武士道精神」や「他者を慮る精神」に通じている。
勝ち組、負け組、結果主義など、日本人の頭にはなかった発想であり、重要なことは精神的充足感なのである。
「大御心」と「天知る、地知る、人知る、我知る」こそ、法の無かった時代でさえも民主的国家を形成させてきた基礎である。
果たして、日本人の生活に侵入してきた思想や価値観は、過去の日本人から見ればどう映るだろうか。
日本にダークサイドの影が覆い、日本人の精神が侵食されつつある今の状態を、過去の日本人はどう思うだろうか。
だからこそ我々は懲戒請求を通して日本再生への口火を切ったのである。
我々は自らの意思で大御心とダークサイドのはざまに立ち、多くの日本人にその現状を訴えているのだ。
不当な戦いを強いられてはいるが決して不毛な戦いではない。
一人でも多くの日本人がこの現況を知り、考え、自分に出来ることをできる範囲で行動することが目的なのである。
我々が何のために何を為そうとしているのか、いずれわかる時が来るだろう。
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