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463  懲戒請求裁判のお粗末

更新日:2021年1月26日

現在官邸メールをベースとした請願書キャンペーンを実施している。

この提出先は「うずしお」であるが、もうひとつの取り組みである「照会書」は、神奈川県弁護士会、東京弁護士会、嶋﨑量、佐々木亮、宋惠燕それぞれに送付していただきたい。

 

 信じられないことだが、宋惠燕の提訴には懲戒請求書が添付されていない。

なんと神奈川県弁護士会が懲戒請求書の開示送付を拒否しているのである。

従前、嶋﨑量の開示請求には応じて50円で発行しているので、まさかの拒否であるが、要個人情報の取り扱いという観点から見れば、それは当然の対応である。

開示交付すれば、それは個人情報法保護法に抵触し、また、明らかな公務員法違反

(1年以下の懲役若しくは50万円以下の罰金)という犯罪となるからさすがにねえ...。


 そのため、2020年12月4日、東京地裁に文書送付嘱託申立書を提出した。


回答 本件送付嘱託に応じることはできません。

理由 綱紀手続きにおいて提出された文書であり、当会会規により閲覧謄写が原則として  認められないものであるため。

しかし、以上、2020年12月23日の回答はつれないもの。そこで2020年12月25日に再度、東京地裁に今度は「文書提出命令申立書」なるものを提出した。

この申立てに東京地方裁判所民事第10部の裁判長はよほど神原と仲がいいのだろう即日対応している。しかし、まだ宋惠燕に提訴されたどこにも回答は来ていないようだ。


 この件、日本人嶋﨑量には開示し、在日朝鮮人宋惠燕に開示しないとなれば、当然ながら「人種差別」と騒ぎ出しそうで、まあ、おもしろい展開になりそうだ。


 今般、神奈川県弁護士会の傘下弁護士、宋惠燕と嶋﨑量により大量に訴訟が提起されている。非常にありがたい展開である。次稿から謎解きも始まる。おもしろいぞ。


 さて、懲戒請求裁判について、おもしろい書面が出ている。ご参考に!



令和2年(ワ)第13259号損害賠償請求事件 令和3年1月21日

原 告 佐々木亮、北周士

被 告 17名


             準備書面3 (被告B))


東京地方裁判所民事第4部合議B係御中

             

被告1ないし3(被告B)代理人

弁護士 江 頭   節 子


第1 はじめに

 大量懲戒請求に対し、一部の例外を除き、認容判決が多数積み上げられている(以下「認容判決群」という)。原告準備書面1に対する被告Bの反論は、その個々の項目ごとに個別に反論するのではなく、認容判決群の間違いの指摘を中心にして開陳する。

 尚、認容判決群の中には、当職が主張した点に言及しない判決が存在するが、認容の結論に不都合な点を無視するのは司法の公正を疑わせるもので許し難い。そこで、本件で万一認容判決を下される場合には、理由中に必ず言及してもらいたい被告Bの主張を、太字と赤字で強調する。


第2 両立しない不法行為性と損害

(1)

認容判決群は、最初に認容の結論ありきで無理矢理に理由を書いているため、確立した法理論から逸脱した矛盾だらけの判決ばかりである。異常な数の大量誤判事件の発生である。裁判所がこのような無理を積み上げれば、次に待っているのは、弁護士会に対する大量の求償請求訴訟ラッシュであろう。認容判決群の裁判所はそこまで考えているのだろうか。

なぜならば、もし認容判決群がいうように「懲戒事由が一見して事実上法律上の根拠を欠くことが明らかで、通常人ならそのことを知り得る」「一見して懲戒事由に当たらないことが明らか」な懲戒請求書が弁護士会に届いたのであれば、対象弁護士が処分される恐れは皆無であるから、対象弁護士が弁明の負担を負ったり長期にわたり身分上の制約を受ける恐れも皆無だからである。それにもかかわらず原告らに損害が生じたとすれば、それは全て弁護士会がもたらしたものであるからである。

(2)

たとえば弁護士会は「一見して懲戒事由に当たらないことが明らか」であるにもかかわらず、原告佐々木にわざわざ弁明書の提出を求めている。

それも、同一の事案であるにもかかわらず、何と10回も弁明書提出を求めている。

しかも、そのうち6回は、当該事案について既に弁護士会が懲戒しない決定をして手続き終了した後に求めている。(時系列表を末尾に載せる)。

認容判決群は原告佐々木が弁明の負担を被ったとして賠償を命じているが、その損害をもたらしたのは弁護士会であるから、懲戒請求者から弁護士会に求償請求が行くのは当然の成り行きであろう。弁護士会は「一見して懲戒事由に当たらないことが明らか」な事案について対象弁護士に弁明を求める法的義務を負わないのみならず、懲戒権者として最高裁H19年判決を踏まえて、対象弁護士に受忍限度を超える損害を与えない業務上の義務を負っているからである。

(3)

別の例は、「登録替え等の制限という身分上の制約」の損害である。裁判所はこれを認めて賠償を認容している。しかし「一見して懲戒すべきでないことが明らか」と裁判所が言う事案について、調査開始から懲戒しない決定まで10ヶ月以上かけた例がある(神奈川県弁護士会)。

本件原告佐々木では最長6ヶ月以上である(平成29年8月29日調査開始、平成30年3月7日決定。甲20、甲23の8)。原告佐々木については、弁護士会はすでに懲戒しない決定を出した後に、同一事案について再度調査を開始している(時系列表を末尾に添付)。また綱紀委員会が議決をすれば弁護士会は議決のとおりの決定をするしかないのに、議決から決定まで1ヶ月半もかかっている(平成29年9月15日議決、同年10月31日決定。乙B5の3、乙B5の2)。

このように、「一見して明らか」なことに6ヶ月もかけたり、手続き終了した事案を再度開始したり、議決が出たら裁量の余地なく決定するだけなのに1ヶ月半もかけたりして、身分上の制約を長期化させたのは弁護士会である。そうである以上、懲戒請求者らから弁護士会に求償請求が行くのは自然の成り行きであろう。懲戒請求者らはしろうとであってそのような身分上の制約など知らないし知る義務も無いが、弁護士会は懲戒権者であり十分熟知しているから、求償割合は100%であろう。

(4)

別の例は「全国の見ず知らずの多数人から悪意を向けられる恐怖」「利益相反の確認の業務負担」の損害である。

この損害は、弁護士会が法令に違反して懲戒請求者の住所氏名の個人情報を対象弁護士に無断漏洩したことによって、初めて生じたものである。弁護士会が、弁護士法上の守秘義務を遵守し、個人情報の第三者提供を禁じる個人情報保護法を遵守して、弁護士法64条の7第1項1号が規定する「事案の内容」だけを対象弁護士に通知していれば、そのような損害は全く生じなかった。

通知の見本として岡口基一裁判官に送られた裁判官訴追委員会への呼出し状を見られたい(乙B18)。同裁判官に対しては複数人から訴追請求が出されたが、訴追請求者の人数も個人情報も一切書かれていらず、「事案の内容」だけが示されている。他士業でも、懲戒請求した者の個人情報が対象者に流されることはない(乙B19~21)。弁護士会もそうしていれば、対象弁護士が「全国の見ず知らずの多数人から悪意を向けられていること」を知ることはなく、利益相反の確認も不要であった。

この点弁護士会は、対象弁護士が弁明をするには懲戒請求者が誰かを知る必要がある、などと苦しい言い訳をしている。しかし、原告佐々木含む計18名に対する別件懲戒請求(雛形番号No.208)の件では、東京弁護士会は対象弁護士に弁明を求めず調査開始の翌日に直ちに懲戒しない議決をして手続きを終了し、その決定通知を送る際に懲戒請求者らの個人情報リストを同封している(乙B55)。したがって弁明のためという言い訳が通じないのは明らかである。

そうすると、懲戒請求者リストを弁護士会が対象弁護士に横流ししたことによって生じた“損害”について、懲戒請求者らが原告らに損害賠償を払わされれば、弁護士会に求償請求が行くのは当然の成り行きであろう。

(5)

このように、原告らの主張する損害は全て弁護士会がもたらしたものである。奇しくも原告らは主張している。「被告らによる加害行為は、各懲戒請求書が東京弁護士会に到達ないし受理された時に発生し終了したとみるべきである」「実際に、原告らに対する懲戒請求について、弁護士会の受領後、懲戒の手続が終了するまでの間、本件各懲戒請求者らによる何らの関与もなかった。」と(原告準備書面1の31頁9行目~)。各懲戒請求書が弁護士会に到達した時点で、原告らの主張する損害はどれも全く発生していなかった。発生させたのは弁護士会である。

裁判所が懲戒請求者らを差別し、懲戒請求者らだけを悪者にして、不法行為を認定し損害を認定し請求認容判決を書けば良しと安易に考えると、懲戒請求者らを斬ったその刃で今度は懲戒請求者らが弁護士会を斬ることになる。大量の求償請求訴訟が弁護士会に集中し、国民の財産である司法の資源が費やされる。それが紛争の終局的解決にならないのは明らかである。裁判所がもし「請求を棄却するのは何となく収まりが悪い」というだけで認容の結論に無理やり持って行こうとするのであれば、今一度踏みとどまられたい。

(6)

「一見して懲戒事由に当たらないことが明らか」だという不法行為の認定と、原告らの主張する損害は両立しないのである。

H19年判決が想定するのは、事実上法律上の根拠を欠くことが懲戒請求者本人には認識し得るが弁護士会にはただちには認識し得ないような懲戒請求、かつ、その内容が一般に知られれば不名誉な事実を摘示する懲戒請求である。たとえば「預り金を横領した」「依頼事件を長期間放置した」等である。それであって初めて、弁護士会が懲戒処分の可能性を念頭に置いて調査に乗り出すから、H19年判決が例示する損害(弁明の負担、名誉信用の毀損の恐れ、身分上の制約)が発生する。

  • 弁護士会が見て「一見して懲戒事由に当たらないことが明らか」と思う懲戒請求は、直ちに手続きが終わるから(場合により手続きを開始しない処理も可能)、損害を発生させる危険がない行為である。つまりH19年判決の射程外である。

または、射程内とした上で、現実の損害が認定できないとか、行為と損害との相当因果関係が認定できない、と判断するしかない。

 認容判決群は、本来射程外のH19年判決を無理やり当てはめ、本来両立しない不法行為性と損害の発生を無理やりどちらも認めようとして、確立した法理論と法律実務に違背する無茶を犯している。それはもはや司法とは言えない。確立した法理論、法律実務を素直に適用すれば、本件は請求棄却しかなく、淡々と棄却判決を下すのが司法の作用である。


第3 損害の認定方法の問題

(1)

 認容判決群の損害の認定は、確立した法理論や法律実務に違背している。

 交通事故であれば、「怪我をして入通院した」という陳述書だけで怪我の損害が認定されることはなく、入通院の日数、期間、傷病名を証明する診断書の証拠提出が必須である。

 ところが大量懲戒請求事件においては、たとえば弁明の負担の損害について、原告らが答弁書の証拠提出さえしなかったのに損害が認定された判決がいくつも存在する。

答弁書が証拠提出された事件もあるが(本件も含め)、原告らは単独不法行為を主張しているのであるから、懲戒請求者一人一人に対応する答弁書の証拠提出が必須であるのに、そのような証拠は皆無である。あるのは、多数の懲戒請求書を一括して扱った「答弁書等の提出の催告」に対応する答弁書だけである。それらは、一部の懲戒請求者が欠けたとしても他の者らの懲戒請求によって同様の答弁書が提出されていたのであるから、因果関係(「あれなければこれ無し」の条件関係)が無い。単独不法行為の損害としては認定できないものである。この法理論を無視した認容判決がいくつも存在するのは驚くべきことである。

(2)

「名誉信用の毀損の恐れ」も同様である。名誉毀損や信用棄損の裁判では、現実に名誉信用が毀損されたか、どの程度毀損されたかを認定して、慰謝料を算定している。ところが本件では、懲戒請求に因って原告らの名誉信用が毀損されたことの立証は皆無である。

また、単独不法行為を主張する以上、名誉毀損が他の者らの懲戒請求によって生じたのではなく各被告の懲戒請求によって生じたことを証拠から認定しなければならないはずであるが、もちろんそのようなことは不可能である。 

それなのに安易に名誉信用の毀損の恐れがあったとして慰謝料が認容されている。確立した損害の認定評価の方法に明らかに反している。司法の劣化か、懲戒請求者らに対する差別か。本件ではそのようなことのないようにしていただきたい。

(3)

 認容判決群は、最高裁H19年判決を誤読している。同判決は、弁護士法でなんぴとでも出来るとされている懲戒請求(つまり原則として適法なはずの行為)が、不法行為とされることがあるのかという問いに対し、不法行為とされることがあると答え、その理由を述べた判決に過ぎないのである。

 不法行為法は、損害の発生を予見し回避することが出来るのに、敢えてまたは不注意で、予見回避せずに損害を与えた場合に、その損害の公平な分担を図る制度である。そうであるから、不法行為における行為は、一般的抽象的に一定の損害を発生させ得る危険性を持つ行為である必要がある。

そこで、最高裁は、懲戒請求された対象弁護士に起こり得る損害を例示し、そのような損害を惹起し得るのであるから懲戒請求も不法行為たり得ると判示したのである。言うなれば、スマホを見ながら運転することは交通事故を起こし他人を死傷させる危険があるから不法行為たり得ると言っているのと同じである。実際に損害賠償が認容されるためには、現実に交通事故が発生し、入通院等の具体的な被害が証拠で立証される必要がある。

 ところが認容判決群は、H19年判決が例示した損害例を、ただちに個々の事例の具体的損害として認定してしまったのである。不法行為になり得る理由の例示と、現実の損害との混同である。

 しかし本件が不法行為に基づく損害賠償事件である以上、現行確立した不法行為法の理論、解釈、実務に違背して損害を認定することは許されない。行為の違法性の問題と、損害の認定は別である。損害は損害として、個別具体的に主張立証されなければならない。そして本件では、個別具体的な損害の立証は、単独不法行為を前提とする限り不可能なのであるから、請求は棄却されるしかない。


第4 単独不法行為と共同不法行為

(1)

 共同不法行為は、単独不法行為を前提とすると被害者が立証の困難の不利益を被るので(典型例が行為と損害の因果関係)、これを回避するために手当てされた被害者救済のための制度である。

 したがって、原告が単独不法行為を主張するのは自由であるが、それでは認定できない事項があり、本来ならば請求は棄却されるはずである。それを回避するには共同不法行為を主張するしかないが、そうすると、各原告は既に40人以上の懲戒請求者らから少なくとも225万円以上の和解金を受領しているので、損害は填補済みという理由で、やはり請求は棄却される。

 現行の確立した法理論に従えば、そのどちらしか無いが、どちらも請求棄却であり、それでは「なんとなく収まりが悪い」と思って無理矢理な認定をしているのが認容判決群である。

(2)

 本件では、各懲戒請求者は、懲戒請求書を弁護士会に直接郵送していない。集約団体(日本再生大和会ないしヤング倉庫)に宛てて郵送しただけである。したがって、被告Bは、単独行為として「懲戒請求をした」ことを否認している。原告は被告Bが単独で東京弁護士会に送ったことを主張立証していないから、裁判所は被告Bが単独で「懲戒請求をした」という請求原因事実を、認定することができない。各懲戒請求者が「懲戒請求をした」と認定するためには、「集約団体と共同して」と認定することが不可欠である。つまり各懲戒請求者と集約団体との共同不法行為を認定するしかない。

 そして、各懲戒請求者と集約団体との共同関係は、どの懲戒請求者も皆同じである。集約団体に送れば、集約団体がとりまとめて各関係先(全国の検察庁や弁護士会)に送るだろうという認識で送り、その認識どおり、集約団体がとりまとめて、各関係先に送ったのである。全員、同じ雛型を使ってである。

 そうすると、懲戒請求者ら全員の共同不法行為性を認めない方が困難である。主観的にも、少なくとも「自分以外にも告発運動に参加するブログ読者はいるだろう」という程度の認識は持っていたし、仮に持っていなかったとしても、客観的関連共同性があるのは明らかである。共同不法行為の成立に主観的関連共同性は不可欠の要素ではない。

 本件で被告らは、予備的に共同不法行為構成による損害の填補済みの抗弁を提出しているのであるから、すべからく請求は棄却されるべきである。

(3)

 単独不法行為の構成では認定できないのは損害も同様である。

「一人一人の懲戒請求によって傷付いている」などと原告は主張する。しかし原告らが目にしたのはただの懲戒請求者リストである。(東京弁護士会が懲戒請求書の束を送り付けたのであればその束)。通常人の通常の見方であれば、リスト全体をザっと眺める、あるいは束をパラパラと見て、「全国から沢山の人がいるなあ」と思うだけである。わざわざ一行一行、一枚一枚の住所氏名をいちいち読んで、いちいち別々に傷ついたりしない(そもそもそのような傷付き方が可能であろうか?)。単独不法行為だと主張するなら、原告らが通常人の通常の見方ではなく、敢えて、一行一行、一人一人の住所氏名をいちいち読んで一人一人別々に傷ついたと主張立証しなければならない。被告Bの単独不法行為というなら、ある傷付きが他の懲戒請求者によるものではなく被告Bの行為のみによって発生したことを主張立証しなければならない。しかし、そのような主張立証は一切無い。

原告らは、謝罪して賠償金を支払った和解者に重ねて損害賠償を求めて提訴したが(東京地裁令和元年(ワ)第1●●●6号)、それは原告らが一人一人別々に傷ついていなかった証拠である。

リストに載った多数人の一人一人によって別々に傷付くという傷付き方は通常では考えられず、主張立証が出来ない性質のものである。そのような立証の不利益を救済するために、共同不法行為という法律構成が認められているのである。原告らはその利益を放棄したのである。

裁判所は、法理論に従い、中立的立場で、主張立証が無ければ棄却するという当たり前の裁判をしなければならない。

尚、仮に原告らが本当に、敢えてリストの一行一行、一枚一枚の住所氏名をいちいち読んで一人一人別々に傷ついたのが事実でありそのことを立証した場合、それは自ら損害を拡大しただけである。被害者には損害を無用に拡大させない義務があり、自ら拡大させた損害まで他人に賠償請求することは認められていない。

(4)

弁明の負担、身分上の制約、名誉信用の毀損も、単独不法行為の損害としての立証は不可能である。

 本件は、単独不法行為の構成による限り、損害の立証は不可能な事案である。


第5 司法が見解を裁いている誤り(大量誤判の根源)

認容判決群は、単独不法行為の構成ではあり得ない損害を認定してきた。法理論を曲げてまで認容判決を書くのは、懲戒請求者に対する差別である。

その差別の根源には、大量懲戒請求を「頭おかしい」所業と見る見解がある。しかし、懲戒請求者らは別に「頭おかしい」人々ではない、普通の国民である。ただ、前提として見ている事実と、その事実に対する評価、危機感、警戒感が、それを共有しない人々とは異なるだけである。

危険を察知し警戒するのは人間の自己防衛本能である。どのような危険を察知し、どの程度警戒するかは、人により、またどのような事実を見ているかにより、相当に異なる。懲戒請求者らは、諸外国、特に近隣諸国により日本の主権が脅かされ日本人の生命身体自由が奪われるという危険を敏感に察知し警戒している人々である。その根拠は北朝鮮の核開発、ミサイル発射、拉致、韓国の竹島不法占拠、それら外国の国民が日本の参政権を要求していること等、枚挙にいとまがない事実群である。

日本が奪われるという危機感が強いほど、それを防ぐため真剣に必死になる。その必死の形相は、その危機感を共有しない人々の目には「頭おかしい」と見えるかも知れない。しかし、本当に「頭おかしい」のは、数々の予兆を見て何の危機感も抱かずのほほんとしている人々の方かも知れない。それは見解の相違であり、その見解の相違は、民主的過程で政治的に調整していくことである。司法が一方の見解に立ってもう一方を「頭おかしい」と裁くべき事柄ではない(司法は政治的責任を取れない)。

2011年3月11日より前に、「千年前に大津波があったから、再び起こる危険があるのに、東北の沿岸に事務所を開いている弁護士は、依頼人や事務員を津波で殺す殺人未遂の犯罪者だ」といって懲戒請求する者があったら、「頭おかしい」と言われたかも知れない。しかし東日本大震災で現実に甚大な津波被害が発生した後からみればどうだろうか。「千年前に大津波があったこと」「東北の沿岸に事務所を開いていること」は事実であり、事実の根拠はある。その二つを結び付けて危険な行為(非行)と評価するかどうかは、見解の違いである。弁護士会は、震災の前であれ後であれ、懲戒処分しないかも知れないが、それと懲戒請求が不当違法かどうかとは別問題である。予見する被害が甚大であればあるほど、必死に食い止めようと思って懲戒請求までするのである。司法は甚大な被害が発生しないと責任を持って言える立場でない以上、その見解について不当違法の判断をすべきではない。弁護士会が、懲戒請求者とは見解を異にするのであれば、懲戒処分しないで直ちに手続きを終了すればよいだけである。「沿岸に事務所を開いた」ことで懲戒請求されたからといって、対象弁護士の名誉信用が害されることもないし、弁明の負担も身分上の制約も生じない。

認容判決群は、あたかも弁護士会が懲戒処分するかしないかの判断をする時のように判断して、懲戒しないと結論付け、それにより懲戒請求が不当違法と裁いている。しかし、北朝鮮の核開発、ミサイル発射等は事実であり、朝鮮学校が北朝鮮(朝鮮総聯)の傘下にあることも事実であり、弁護士会が朝鮮学校に補助金を出せと会長声明を発したのも事実であり、対象弁護士が会長声明を承認(黙認含む)したのも事実であるから、事実の根拠はある。弁護士会に、事実と異なることがもたらされたわけではない。会長声明を承認(黙認含む)する行為は、日本を侵襲する北朝鮮を利する非行であるというのは、懲戒請求者らの見解である。司法は見解を不当とか違法とか言って裁くものではない。(司法は、補助金により経済制裁の効果が薄れ北朝鮮が日本を侵襲する結果になっても、責任を取れない)。弁護士会が、違う見解を持つのであれば、懲戒処分しないで直ちに手続きを終了すればよいだけである。そのような理由で懲戒請求されたからと言って対象弁護士の名誉信用が害されることもないし、弁明の負担も身分上の制約も生じない。

司法は、政治的見解を裁くことをせず、淡々と、確立した法理論、法律実務に従い、棄却判決を下すしかない。


第6 まとめ

 本件は、事実に基づいた懲戒請求であり、事実は正確に申告されていて弁護士会の判断を誤らせる恐れはなく、弁護士会とは見解が異なるに過ぎないから、不法行為に当たらない。

 仮に、客観的に「一見して懲戒事由に当たらないことが明らか」であるなら、損害を発生させる危険がない行為であるから、H19年判決の射程外である。

または射程内とした上で、現実の損害が無い。

または行為と損害の相当因果関係が無い。(弁護士会が発生させた損害だから)

最悪、共同不法行為であり損害は他者の賠償金で填補済みである。

上記のいずれかの理由で、請求は棄却されるべきである。

                             以上





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