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844 鹿子木裁判官めー、真面目に働けー

本件の被告は,どこにでもいる平凡な会社員であり、また誠実な日本国民である。日々の少ない給料から日本のためになればと税金をさしだす納税者である。渋々ではあるが。


本件については家族や職場には本事件のことを知らせていない。たとえ自分が苦労したり辛酸をなめたりしようが、家族に無用な心配をかけたくないと思うのは日本人としては(←ここ、重要)当然の感覚である。また、一般人の生活には縁のない「裁判所」や「弁護士」と自分が関係していると職場に知られたら,変な噂が立つのではないか, 会社や取引先に迷惑がかかるのではないか、と日本人であれば(←ここ、重要)と危惧するのは当然のことである。


日本人というのはいつだって、自己犠牲を厭わない。

他人に迷惑をかけるくらいなら自分がどうなっても構わないとさえ思っている。

そう、日本人ならね。(←ここ、重要)


ある日突然、家族との⽣活の本拠である自宅が強制競売にかけられたらどうなるか。これを取下げるために賠償金の何倍もの手数料まで負担させられる羽目になった。これも某高等裁判所の鹿子木康裁判官の杜撰な判事が、誠実な一国民を絶望の淵に追いやったのである。


「早く払っておけばこんなことにならなかったのに」

電話の向こうの西川弁護士はそう言って笑った。


しかし実際はどうだ?つい最近、某市の高等裁判所で原告の請求棄却が出たそうじゃないか。おいおい、あの時の絶望感は何だったのかい?と自問自答するのも当然である。


鹿子木康裁判官は、いったい何をやっていたのかね?

「自分はクビになる心配はないから、さぼっていても大丈夫」なんでしょうな。


「法務・検察当局には、謙抑的で「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の姿勢を堅持し、権力犯罪という巨悪を眠らせない捜査を期待してきた。今回の則定衛前東京高検検事長の女性スキャンダルについても、犯罪の公訴提起者、公益の代表者として、当然身内により厳しい態度で臨むものと思っていたが、最高検の内部調査は数日というきわめて短期間で終わり、則定前検事長の辞職で問題は決着したかのような姿勢をうかがわせた。もしかすると、身内にだけは甘いのかと危惧していたら、そのとおりとなり、誠に残念である」

これは平成十一年四月十四日提出、質問第二五号「身内に甘い法務・検察の調査に関する質問主意書」提出者、保坂展人からの質問である。平成11年から随分時間が経過したが相変わらず身内には甘いようである。


民間企業で、業務に真剣に取り組まず杜撰な作業をして給料だけをもらう社員の成果物が、すべて不合格であるとわかっていながら同じ作業を続けていた結果と発覚した場合、社内ではどのような措置が取られると考えるか。数社に問い合わせた上で、答弁されたい。

国家公務員は国民の税金で生活している。納税者が首をかしげるような行為は公私とも慎むべきと考えるが、どうか。


同じ内容の訴状内容と証拠を使用したこれまでの事件において、一方で原告の請求棄却の判決が下される一方で、具体的な損害の根拠は明らかにされないまま何億円もの許容金額を認めることになった。審理は十分尽くしたはずなのに、このような結果になったのはなぜだろうか?これほどのブレ幅がある判決はそもそも裁判官に問題があるとしか思えないわけだが、

「調査の公正さを疑うわけではないが、『結論はあらかじめ決まっていたのではないか』との批判を招きかねない手際よさである」

と平成十一年四月十四日提出、質問第二五号で保坂展人がすでに平成11年に述べているように、信用のなさは伝統なのだ。


また、「いわゆる判検交流に関する質問主意書」提出者、浅野貴博によると、

司法を構成する裁判所の裁判官と、行政を構成する検察庁の検察官によるいわゆる判検交流(以下、「判検交流」という。)という制度に関し、「政府答弁書一」(内閣衆質一七一第五〇五号)及び「政府答弁書二」(内閣衆質一七一第五七一号)を踏まえ、以下質問する。


前自民・公明政権により閣議決定された「政府答弁書一」及び「政府答弁書二」では、「判検交流」の意義について「裁判官の職にあった者からの検察官への任命及び検察官の職にあった者からの裁判官への任命を始めとする法曹間の人材の相互交流は、国民の期待と信頼にこたえ得る多様で豊かな知識、経験等を備えた法曹を育成、確保するため、意義あるものと考えている。」、「法曹は、裁判官、検察官、弁護士のいずれの立場に置かれても、その立場に応じて職責を全うするところに特色があり、一元的な法曹養成制度や弁護士の職にあった者からの裁判官及び検察官への任命等もこのことを前提にしている。したがって、法曹間の人材の相互交流により、裁判の公正、中立性が害され、『裁かれる者にとって不利な状況』が生まれるといった弊害が生じるとは考えていない。」との旨の答弁がなされている。しかし当方は、「判検交流」は裁く側、訴える側の二者が交流を深めることにより、弁護する側は入手し得ない情報や人間関係が裁判官と検察官の間でのみ共有されることにつながり、司法の公平性、客観性を歪めかねないものであると考える。右も含め、「判検交流」につき、政府はどのような認識を有しているのか示されたい。


だそうで、やっぱり「裁かれる者にとって不利な状況」ができてる認識は以前からあったってことだ。


このようなことからも、これまでにわずかな金額でも許容金額を認める判決を出した裁判官らは、問答無用で訴追請求させていただくしかないだろう。


国民の血税で飼われている以上、ぼーっと生きてんじゃねえよ、しっかり真面目に働く義務があるのだ。

国民は国家公務員に「パフォーマンスの良い金儲け」すなわちサボりを求めてはいない。


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